|
|
病床に伏せ、人生を考えた。
それがきらり薬局の原点です。
|
|
私は、なぜきらり薬局を作ったのか? |
|
代表取締役/薬剤師 黒木 哲史
|
|
26歳の時、私は急性膵炎を患い2週間入院したことがあります。地方の小さな病院だったこともあり、病院で色々な病気の人と出会う機会がありました。
糖尿病が悪化して足を切断しなければならない人、足を骨折して入院している人、ガンで入院と退院を繰り返している独居の老人。このような方々と直接にゆっくり話をさせていただいているうちに私もいつかは年老いて病気になって死ぬんだという…あたりまえの事なんですが、その時初めて気づきました。
私はこの少ない人生の時間をどう過ごすか?私は何をして死んでいったらいいのか?しばらく考えるようになりました。そして出た結論が、私は薬剤師の資格を持ち薬と医療に対しての経験もある。あの時、病棟でお会いした人に対して、もしくは同じような境遇の人に何らかの力になれると考えました。自分自身の可能性を試したいという思いと既存の薬局以上のサービスをしたいと考えると自分自身で薬局を開局するのが近道と考え2008年1月に仲間1人と事務1人と開局しました。
残された時間を目一杯使って薬剤師として患者さんに価値を創造したい、それが私の人生です。 |
|
|
きらり薬局が在宅に
取り組むきっかけ
|
|
とある町に、知的障害者の方々が入所する施設があります。
そこでは看護師さんがたった一人で60人分の薬の管理に追われていました。看護師としての仕事はまともに出来ず、薬の仕分けで1日が終わるという毎日でした。そのような状況なので、誤薬が起こる事も珍しくありません。そんな中、施設ときらり薬局が出会い、現状をなんとか変えたいとご相談いただきました。それから2年にわたり、施設様ときらり薬局共同で試行錯誤を繰り返してきました。きらり薬局の薬剤師と施設の管理者、看護師さん、ヘルパーさんと解決策を共に考え、お薬を整理し、配達することで看護師さん、ヘルパーさんの負担を軽減すると共に、誤薬の防止に貢献することができ、大変お喜びいただくことができました。現在も毎週、薬剤師がお薬を持って施設を訪問しています。 |
|
|
福岡から日本の
高齢者の生活を守る
ブランド薬局をつくる。
|
「処方せん通りに調剤する医療機関の横にある箱のようなもの」、「二度手間」、「本当に必要か?」等の意見で一括りにされる薬局にも医療に対して大きな可能性があることを伝えたい、それが私達きらり薬局の使命です。
老々介護の現場できらり薬局は、ご家族、介護スタッフ、お医者さん、看護師さんと一緒に考え、同じ目標に向かって1人1人に合わせた支援をしています。
同じ目標、それは少しでも元気に患者さんが生活できる事です。処方せんを元気に変えてお届けする事です。よりよい社会を作るために情熱を傾ける小さな薬局の活動が、介護難民、老々介護という暗闇の中に、希望の光を灯すことを証明したい。 |
加速する高齢化社会の中で、私たちにできることは大きい。
|
|
「介護離職10万人」という見出しの記事が、ある新聞に掲載されていました。親の介護か、仕事か、二者択一に迫られ苦しむ人々の取材を行ったものです。
●認知症を患う母親の介護を父親に託したが、限界はすぐにやってきた。「会社の支援は期待できなかった。」と離職を決め、整体師として生計を立てる現在、母親に続いて認知症になった父親を施設に見舞う日々を送る…。
●実家で暮らす母親を世話するため、月に数回東京と長野を深夜バスで往復する。「会社勤めではとても無理だ…。」などと状況は過酷を極めます。
親の介護のために離職する人の数はこの5年間で2倍にまで増えました。一部の大手企業は勤務制度の改変に乗り出していますが、まだまだ社会には浸透していないように思えます。親族の介護に直面する人々は、今後一層増え続け、もはや全国民にとって他人事では済まされない状況です。
私たちは確信しています。そのような状況下での調剤薬局の必要性を。創業以来、介護に苦しむ方々にとってより身近になる薬剤師像、社会への貢献度が高い調剤薬局像を描き続け、業務の改革に取り組んできました。あらゆる課題の解決が求められる地域医療の中で、その地域に無くてはならない薬局として、社会に貢献できることは非常に大きいのです。 |
●トップページへ戻る
|